専門家がおちいるわなとは?

以前、とある学会で信頼性試験の講師をしたときに感じたことです。

一般に、摩擦・摩耗・潤滑にかかわる性能試験、つまりトライボロジー試験は、再現性があまりなく、バラツキも大きいと言われています。

したがって、すでに確立されている規格試験を行うことで信頼性を担保するのがよい、とのバイアスにおかされているように感じました。

やろうとしている試験の目的が、規格試験とまったく同じならば問題はありません。

しかし、新しい課題に取りくむとき、このバイアスがじゃまをし、誤った方向へすすみがちです。

規格試験を行えば、結果が仮説とちがっても、深く考察する必要から逃れられます。

これは、最初からクレームを排除するようなものです。

特に新しい発見は、クレームをチャンスに変えることから生まれることが多いですよね。

じゃあ、どうするか?

知りたい「現象の本質」を探りだし、その本質に適した試験のやり方を工夫することです。

それによって、信頼性は担保されることを実際の例をもちいて説明しました。

納得してくれたかどうかは分かりませんが、、、

つまり、対象とするものの本質を見つけることがいちばん重要ってことなのですが、専門家だからこそ、知識からくるバイアスのわなにハマってしまうのでしょう。

これは、トライボロジーに限らず、あらゆるクレームにも共通して言えることではないでしょうか。

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